何度倒れても立ち上がるその勇気、それを人は七転び八起きという。

いつものように来る日も来る日もツイッターをしていると、アイカツフレンズの感想が流れてきました。

フォローしている人のツイートではないし、将来消されてしまうとこの記事の内容がよくわからなくなるのでツイートは載せませんが、要約すると

アイカツフレンズという作品で、フレンズを組まないという選択肢が提示されない世界に違和感を感じる

というものでした。
確かにわからんでもありません。言われてみれば、価値観の押しつけのような気はします。
とはいうものの、アイカツフレンズでフレンズをしないのは、せっかく海に来たのに海に行かなかったり、カブトボーグカブトボーグをしないようなものです。
俺はどっちでもいいけど。

ここで私はあることに気が付きました。

カブトボーグの世界観には、カブトボーグをしない選択肢がきちんと用意されている、むしろまともな人はボーグバトルなんかしない。


この格言を聞いて思い出すのは、やはり35話ではないでしょうか。
常識知らずのボーグ馬鹿!」「ボーガーなんてみんな常識知らずよ!

...こんな辺境のブログまで来ていただいて申し訳ないが胸の痛みを感じてもらいました。

そう、カブトボーグカブトボーグを否定するアニメでもあるんです。 ボーガーが世間の日陰者であり、カブトボーグは絶対的な存在ではなく時代の流れによって淘汰されうるものであることを示す話が35話以降多くなります。わかりやすいのは39話、42話、43話ですね。36話もその要素があるかもしれない。結局カブトボーグで解決していますが。

35話以前からカブトボーグを小馬鹿にしたり、非ボーガー(結局ボーガーだが)に破壊されそうになったりするような演出はあるんですが、それでも女よりカブトボーグを取ったり、筋肉よりカブトボーグを取ったり、カブトボーグ中心で世界が回っているんです。とりあえずカブトボーグをやっておけば大抵の場合安心だぞという気持ちになれます。コームインになるよりボーガーになろうってみんな思うはずです。

そして34話まででじっくり煮込んだボーグ脳を35話でジェノサイドする。畳み掛けるように今まで普通だと思っていた修行のやり方を否定し、粗野で乱暴で馬鹿であることを自覚させられ、妙なブームや民意に追い詰められるなど、激動の逆流に放り込む。ボーグバトル協会の腐敗も描く。
小ネタでなく、一話丸々使ってカブトボーグへのアンチテーゼを次々に描いていきます。
「お前ら、カブトボーグってこんなにしょうもないんだけどまだボーグバトルとかやりますか?それとも普通に生きますか?」という問いかけなんです。

それでもやっぱりカブトボーグをやるし、ボーグバトルのためなら死んだっていいんだって思えるのが46話なんですね。 カブトボーグを何度も何度も否定して乗り越えてきたからこそ、ボーグバトルって美しいなと気づけるんですよ。

だからこそ言える、初心者が見る場合は1話からをおすすめしたいと。カブトボーグ、順番にちゃんと意味あるから。
そもそもカブトボーグ1話は念能力を込めたパンチのようなものなので、あれを生き残れば大抵の場合順番に完走できるし、そうじゃない人は順番の工夫では如何ともし難いのではないか。

そしてアイカツフレンズは今後カブトボーグ超え!勇気のライジングプロミネンス出来るのでしょうか?
想像を超えた展開を俺は待っています。